ふわ日記|将棋と読書とゲームのブログ

将棋をもっと楽しく強く。ゲームと読書も交えながら、実体験ベースで綴るブログ

将棋 才能が気になる親に伝えたい、子どもと将棋のひとつの結論

子どもに才能があるのかどうか

 

どうも、ふわです。

 

子どもが将棋を始めると、

「この子に将棋の才能はあるのか?」

と、一度は気になってしまうものだと思います。

 

周りの子が勝ち始めたり、

昇級が早い子を見たりすると、

「うちの子は向いていないのかも」

と不安になることもあります。

 

自分も、

子どもに将棋を教え始めたとき、

同じようなことを考えました。

 

ただ、

実際に子どもと将棋を指し続けて分かったのは、

才能があるかどうかは、思っていたほど重要ではなかった

ということです。

 

今回は、

子どもに将棋を教える中で感じた「将棋と才能の距離感」について、

親目線で正直に書いてみます。

 

以前、
子どもが将棋を好きになる瞬間と嫌いになる瞬間 について書きました。

そのときは、
子どもと将棋を指していて感じた
「楽しそうな瞬間」と「ちょっと嫌そうな瞬間」 を中心に書いています。

 

でも、あとからもう一つ、
伝えておいた方がいいと思ったことがありました。

それが、将棋を始めた子どもに
「才能があるかどうか」で見てしまう視点

についてです。

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強い=才能? 覚えるのが早い=才能?

 

よくある「将棋の才能」のイメージって、

・すぐ勝てる
・覚えるのが早い
・説明しなくても理解する

こういうものだと思います。

 

でも、

これは「今の成長速度」を見ているだけなんですよね。

 

周りと比べて、

できている・できていないで判断してしまう。

 

そして、

周りよりできている → 才能がある
周りよりできない → 才能がない

という考え方に、

いつの間にか引っ張られてしまう。

 

でもこれって、

ほとんど親側の都合で使われている言葉だな、と感じました。

子どもの頃に目立たないケースは、普通にある

 

将棋って、

子どもの頃に目立たないケースが普通にあります。

 

むしろ、

将棋の成長で一番重要なのは、どれだけ将棋を好きになれるか

そして、

「強くなりたい」と自主的に思えるか

ここに尽きると思っています。

 

言われてやる将棋と、

自分からやりたくて指す将棋。

 

正直、

この差は後から確実に出ます。

 

どんなに才能があるように見えても、

言われてやっている子は、

本心から楽しんでやっている子には勝てない。

将棋界は早熟が有利。でも、それと「才能」は別

 

将棋界は、

早熟が成果につながりやすい世界なのは事実です。

 

これはかなり信ぴょう性が高いと思います。

 

ただ、

親に無理やり将棋をやらされてプロになった

という話は、

自分は聞いたことがありません。

 

結局、

どれだけ将棋を楽しめたか
どれだけ将棋にハマれたか

ここが一番重要だったりします。

 

だから、

「将棋 才能=早く強くなる」ではない

才能があるかどうかより、

将棋との距離感の方が、ずっと大事でした。

才能があっても離れる子はいる

 

才能があるように見えても、

将棋から離れていく子はいます。

 

逆に、

才能があるとは言われなかった子が、

細く長く続けて、

後から伸びることもある。

 

だから思うんです。

才能は結果論、距離感は現在進行形

 

今どう見えるかより、

今どんな気持ちで将棋と向き合っているか。

そこを見た方がいい。

親が一番勘違いしやすい「才能があるサイン」

 

よく聞く「才能があるサイン」って、

・昇級、昇段が早い
・詰将棋が解ける
・周りの大人に「才能あるね」と言われる

 

でも、

それって本当に才能でしょうか。

 

ただ「今ハマっているだけ」

という可能性も、かなり高いです。

 

将棋が強くなるには、

必ず将棋にハマる時期があります。

 

問題は、

それが続くかどうか

 

どんなに頑張っても、

必ず伸びない時期は来ます。

 

そのときに、

将棋を楽しめるかどうか

 

ここは、

大人の強制ではどうにもなりません。

 

大人ができるのは、見守ることだけです。

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将棋に才能がなくても、得られるものはちゃんとある

 

もし、

将棋にそこまでハマれなかったとしても。

 

それは、

将棋が合わなかっただけです。

 

将棋を通して、

・考える時間
・負ける経験
・自分で決める経験

こういうものは、ちゃんと残ります。

 

真剣に取り組んでも叶わない経験。

真剣に取り組んで勝てた経験。

 

何かに一生懸命向き合えば、

必ず何かは残る。

 

そこまで真剣になれなかったとしても、

それは失敗じゃない。

 

将棋が合わなかっただけ

それだけの話だと思っています。

 

才能があるかどうかを考えるより、
将棋とどう付き合っているかを見る。

子どもに将棋を教えて、

一番大事だと感じたのは、そこでした。

 

将棋は、好きになれたらラッキー。
それくらいで、ちょうどいい。

まとめ|将棋に「才能があるかどうか」より大切なこと

 

子どもが将棋を始めると、

どうしても

「才能があるのか」「向いているのか」

が気になってしまいます。

 

でも、

子どもと将棋に向き合ってきて感じたのは、

それを判断する意味は、思っているほど大きくないということでした。

 

将棋が好きで、

少しでも「また指したい」と思えているなら、

それだけで十分だと思います。

 

強くならなくてもいい。

結果が出なくてもいい。

 

何かに夢中になれる時間を持てたこと自体が、もう価値だからです。

 

それが将棋なら、将棋でいい。

もし途中で将棋じゃなくなったとしても、

それも別に失敗ではありません。

 

将棋を通して、

考えること、負けること、決めることを経験できたなら、

それはちゃんと残ります。

 

才能があるかどうかは、

あとから振り返って決まるもの

 

今はただ、

将棋とどんな距離で付き合えているか

そこだけを見ていれば、

十分なんじゃないかな、と思っています。