
どうも、ふわです。
将棋を長く指していると、
盤の前にいないときでも、
思考の癖だけが将棋のまま残っている と感じることがあります。
別に困っているわけでもないし、
直したい癖というほどでもない。
ただ、
「あ、今の発想かなり将棋的だな」
と思う瞬間が、日常の中に静かに紛れ込んでいる。
今回は、
将棋を指してきた結果、自然と染みついてしまった思考
について書いてみます。
スポンサーリンク
何が正解だったかを、あとから検討してしまう
会話が終わったあと。
一日の予定が終わったあと。
ふと、
「あそこ、別の手もあったな」
と考えてしまうことがあります。
もっと自然な返しはなかったか。
別の順番で動いた方が、楽に進んだんじゃないか。
将棋で言えば、
完全に感想戦モードです。
良し悪しを裁きたいわけじゃない。
反省会をしたいわけでもない。
ただ、
「内容」が気になってしまう。
勝ったか負けたかより、
「あの判断は本当に最善だったか」を振り返る癖が、
日常にもそのまま流れ込んでいる気がします。
会話でも、無意識に先を読んでいる
誰かと話しているとき、
相手の言葉を聞きながら、
頭の片隅で次の展開を想像しています。
「たぶん、こう返してくる」
「次はこの話題に着地する」
もちろん、
そんなに当たるわけでもありません。
むしろ、
普通に外れます(笑)。
それでも、
読まずにはいられない。
将棋で常に数手先を見てきた癖が、
会話の中でも勝手に立ち上がってしまう 感じがします。
「余裕があるか」より「足りているか」を見る
時間。
体力。
集中力。
何かを始めるとき、
「余裕があるか」よりも、
「これ、足りる?」 を先に考える。
完璧じゃなくてもいい。
ギリギリでも成立していればOK。
将棋でいうなら、
1手勝ちで十分。
これは、
効率的なのか、
ただの将棋脳なのかは分かりません。
でも、
無駄に盛らなくなった のは確かです。
結果よりも「内容」で納得したがる
うまくいった日でも、
なぜか引っかかる局面が残る。
逆に、
うまくいかなかった日でも、
「ここは悪くなかった」と思えると、
少しだけ気持ちが落ち着く。
これも、
将棋とよく似ています。
結果だけで完結できなくなった のは、
間違いなく将棋の影響だと思います。
スポンサーリンク
まとめ
将棋を指していると、
考え方まで将棋寄りになります。
生きやすくなったかは、正直分からない。
合理的とも言い切れない。
でも、
物事を雑に終わらせなくなった のは、
自分にとって悪くない変化でした。
もし、
日常で「将棋っぽい思考」をしている自分に気づいたら、
それはたぶん、
ちゃんと将棋を指してきた人間の後遺症 なんだと、褒めてあげましょう!
将棋
雑記
行ってみた
おすすめ紹介
批評
ブログ運営
記事一覧